バウハウスの歴史 ー bauhaus history

 『 バウハウス ー bauhaus 』今日ではその名は世界に知られるようになり、普通名詞にまでなりました。特にそこで生み出されたデザインは高い評価を受け、バウハウス様式という名で定着しています。

 

 

 1919年から1933年、わずか14年間しか存続しなかった学校、バウハウス。今はもう閉校してしまいましたが、私の母校である札幌市立高等専門学校も、このバウハウスの教育理念を念頭におき、デザインの早期教育を目指した学校でした。そんな、今もなお影響を与え続けるバウハウス。その歴史についてまとめてみました。

 

 

 バウハウスの生きた時代は、様式建築からシンプルな機能美へと建築の価値観がガラリと変化する、モダニズム運動全盛期です。しかし、ひとつの学校にすぎないバウハウスが、その時代の象徴としていまだに存在感を持っていることには理由があります。

 

 1つは豪華な教師陣です。抽象絵画のパウル・クレーから近代建築の巨匠ミースまで、建築のみならずグラフィックやプロダクト、アートなど多彩な顔ぶれが、お互いに影響し合いつつ近代化へと突き進むという芸術運動でもありました。

 

 2つ目は芸術と技術の融合を目論んだデザイン理念の斬新さです。特に黄金期デッサウ時代にはグロピウス設計の校舎やブロイヤーのパイプ椅子などが登場します。機能を重視した近代的デザインを実践しました。

 

 最後は後世への影響力です。バウハウス自体の活動は14年という短い期間でしたが、講師達のアメリカなどへの亡命や卒業生の各地での活動により、教育システムやデザイン思想が世界へと伝播し発展しました。ミースの残した「バウハウスは、ひとつの理念である」の言葉のごとく、学校という形は消滅してもバウハウスは根強い生命力を持っていたのです。