ゲオルク・ムッヘ 画家、版画家

 

 

1895年、ザクセン州クヴェアフルトに生まれる。

 

1913年から1914年にかけて、ミュンヘンのアズベ芸術学校で学ぶ。

 

1915年、ベルリンに移り、表現主義の画廊「シュトュルム」を中心としたグループと接触。この当時に彼の最初の抽象画が生まれる。

 

1916年から1919年までの間に「シュトュルム」画廊で3回の展覧会。

 

1917年から1918年まで従軍。1920年4月から1927年6月まで、バウハウスのマイスター。

 

1920年の夏と1921年には、予備課程の授業。

 

1920年10月から1921年4月まで、イッテンとともにいくつかの工房を指導、続いて織物部の指導。

 

1923年、バウハウス展委員会の委員長。実験住宅「アム・ホルン」の家の設計。

 

1924年、アメリカ合衆国に研究旅行。

 

1926年、リヒャルト・パウリックと共同でデッサウにスチール家を建築。

 

1927年から1930年まで、ベルリンでヨハネス・イッテンの主催する芸術学校で教える。

 

1931年から1933年に即時解雇されるまで、ブレスラウ・アカデミーの絵画の教授。その後1938年まで、ベルリンでフーゴ・へリングの主催するライマン学校で教える。

 

1939年から1958年まで、クレーフェルトの工業学校で服飾芸術の特別クラスを指導。

 

1958年ボーデン湖畔に移住、1960年以降リンダウに住んで、画家、版画家として活躍。

 

1987年、リンダウで死去。

 

 

 ムッヘは1916年頃には、ヘルヴァルト・ヴァルデンがベルリンに設立した表現主義者のための画廊「シュトュルム」を中心とした前衛芸術家の1人であった。しかし、1922年頃のバウハウスでの彼の絵画は、再び具体的傾向を強めている。もっともこの当時の彼の作品は、一貫性を欠いている。ムッヘが指導していた織物部は、彼の芸術的な影響をあまり受けてはいない。