ヴァルター・ペーターハンス 写真家

 

 

1897年、ドレスデンのツァイス・イコン社の社長の息子として、フランクフルトに生まれる。

 

1916年から1918年にかけて従軍。

 

1920年から1923年まで、ミュンヘンとゲッティングの大学で、数学、哲学、美術史を学ぶ。

 

1925年から1926年まで、ライプツィヒにあるグラフィックアートと出版関連のための国立アカデミーで複写写真術を学ぶ。

 

1926年、ワイマールで写真のマイスター資格試験に合格。

 

1927年、ベルリンに写真スタジオを開き、工業界の注文を受けて活動。

 

1928年、ケルンの「プレッサ」展、1929年にはシュトュットガルトの「映画と写真」展に参加。

 

1929年4月から1933年4月まで、バウハウスに新設された写真部の主任。

 

1933年から1934年の閉鎖まで、ヴェルナー・グレッフの写真学校で教える。

 

1935年から1937年まで、ベルリンでフーゴ・へリングが主催するライマン学校で写真を教える。ベルリンのフリーの写真家として活動。写真技術についての専門書を数冊発表。ミース・ファン・デル・ローエの口ききで、1938年、シカゴにあるイリノイ工学研究所に招かれる。そこで1960年まで「ヴィジュアル・トレーニング」、分析、芸術史を教える。そのかたわら1945年から1947年まで、シカゴの大学の哲学部で授業。

 

1953年、ウルムの造形大学に客員講師として招かれ、できたばかりの基礎課程を担当する。

 

1959/60年には、ハンブルクの造形大学客員講師。

 

1960年、シュトュットガルト郊外のシュテッテンで死去。