パウル・クレーとヴァシリー・カンディンスキーの授業

 デッサウ・バウハウスで教職に携わっていたほとんどすべての期間を通じて、クレーは予備課程第2学期生の学生の授業を受け持ってきました。教える分野はすでにワイマール時代にその主な輪郭が出来上がっていた「造形的形態論」で、ここには色球を用いて実演して見せる色彩論も含まれていました。1927年の冬学期に、クレーは授業分野を拡張しました。ムッヘの退職後、彼は織物工房の女性たちに対する形態授業を引き継いだのです。たいていの場合彼はこの講座を、生徒が在籍している学期数によって2つのグループに分けました。2学期あるいは3学期目の年少グループと4〜5学期目の年長グループです。

 

 1926年5月以降クレーはさらに、自らの希望で自由絵画講座を担当したが、この最初の授業は男女合わせて10名が受講を登録しました。彼はこの授業も、バウハウスにいる間ずっと続けたのです。

 

 

 さて、カンディンスキーとの違いですが、カンディンスキーの課題設定は、分析素描では1922年から、色彩論では1925年から、ほとんど同じことを繰り返していました。それに対してクレーは、自分の授業計画を常に発展させ、そのために場合によっては自費で購入した専門書を参考にしたりしていました。たいていの場合クレーは、いくつかの実演を行った後に、生徒たちに線描や色彩の課題を出して制作させました。それを非常な広義にわたる平面造形や色彩論の規則に基づいて行うのです。

 

 

 クレーの自由芸術や授業は、絶え間なく移り変わっていきました。最初のうちはクレーはまだ、自分の経験や成果を一つのまとまった体系に統一することができると考えていました。しかし彼の研究は「無限の博物学」にまで拡大しました。その成果は科学と芸術実践という二つの領域から同じように得るものだったのだが、この二つからは統一した体系を築くことはできなかったのです。

 

 カンディンスキーの授業も形態論の分野であり、これはデッサウでは第2学期以降必修でした。それと並んで彼はクレーと同様、1927年から自由絵画を受け持ちました。カンディンスキーのワイマール時代の授業については、驚くほど多くの「分析素描」が保存されているのに、色彩論の作品はほとんど残っていません。このことから、該当する演習が少しずつ形を整えていったと推定されます。

 

 彼のデッサウ時代の授業からは、ベルリンのバウハウス資料館だけでも200以上の色彩論についての生徒の作品が保存されています。ほとんど整理することもできないようなクレーの講義や演習の作品とは異なり、カンディンスキーの授業で出された課題は、4つのグループに大まかに分けることができます。色彩体系とシークェンス、色彩と形態の対応、色彩の相関関係、色彩と空間です。