ヨースト・シュミット 印刷技術者、彫刻家

 

 

1893年、ハノーファー近郊ヴンストルフに生まれる。

 

1910年、ワイマールのザクセン大公立造形大学に入学。マックス・テディの特別クラス生として、絵画の学位を取得。

 

1914年から1918年まで従軍。

 

1919年秋から1925年4月まで、バウハウスに学生として在籍。イッテンとシュレマーのもとで木彫を学ぶ。

 

1923年、最初の印刷作品。

 

1925年から1932年10月まで、バウハウスで教える。

 

1925年10月から1930年4月に工房が解体されるまで、彫刻工房を指導。

 

1928年5月から、広告部を指導。

 

1925年から第1学期生に「レタリング」コース、1929/30年にはそれに加えて人体デッサン、1930年10月からは高学年に「人体・彫像デッサン」を教える。

 

1933年、デッサウからベルリンへ移住。

 

1934年、グロピウスとともにベルリンの「ドイツの民族、ドイツの仕事」展に非金属ブースを出展。ベルリンにアトリエを借りて、出版社で地図製作の仕事。

 

1935年、フーゴ・へリング主催のライマン学校の教師。教職を禁じられてからは、臨時の仕事でしのぐ。

 

1943年、シャルロッテンブルクにあったアトリエが被災。

 

1944/45年、従軍。

 

1945年、マックス・タウトに招かれ、ベルリンの造形大学の教授として、建築予備課程を担当。

 

1946年、バウハウス関係者で作ったグループとともに、「ベルリンは企画する」展を開く。

 

1947/48年、アメリカ合衆国展示会センターから展示会設計の申し出。バウハウス展とバウハウスの本の企画。

 

1948年、ニュルンベルクで死去。