ミース・ファン・デル・ローエ

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ 建築家

 

 

1886年、アーヘンに生まれる。4年間、アーヘンの工房や事務所で化粧漆喰や装飾用のデザイン画を描く。

 

1904年から1907年まで、ブルーノ・パウルのもとに勤務。そのかたわら工芸学校で学ぶ。

 

1908年から1911年まで、ペーター・ベーレンスの事務所に勤務。その後ベルリンでフリーの建築家として活動。

 

1921年から1924年にかけて、高層建築、邸宅、事務所を対象とした4つの規範的、理想的な設計が生まれた。20年代には邸宅建築や展示会建築で活動。

 

1927年、シュトュットガルドの工作連盟の展示会「住宅」展を主催、階層建築。

 

1929年、バルセロナの万博博物館でドイツ館を建設。

 

1930年8月から1933年7月にバウハウスが完全に解体するまで学長を務め、高学年に建築学の授業。その後ベルリンで建築家として活動するかたわら、授業も行う。

 

1937年、シカゴに亡命。

 

1938年から1958年まで、「アーマー研究所」、後の「イリノイ工学研究所」の建築学部長。そのかたわらシカゴの自分の事務所を開く。ファンズワース邸、「レイク・ショア・ドライヴ 860〜880 番地」の2つの高層住宅、「シーグラム・ビルディング」、新国立美術館を始め、特にシカゴやニューヨークで20世紀建築に影響を与えた数多くの建築を手がける。

 

1969年、シカゴで死去。